はじめまして、助屋の矢野慎次と申します。
この度は助屋のホームページへお越しくださいましてありがとうございます。
こちらでは助屋及びに私の事についてご紹介いたします。
「助屋」は石屋さんです。主な業務はお墓に関する事です。平成27年4月、高崎において開業いたしました。
「助屋」の「助」という字は私がブログ等で使用していた名前、「弥乃助」からとった文字です。この名前を使うようになってから交友関係が広がり、自分自身の視野も広がり様々な挑戦をするきっかけにもなった、私にとって思い入れのある文字でございます。その思い入れのある文字を入れることにより、初心を忘れることなく挑戦する覚悟をすると共に、「助」という文字が示すように様々な方の供養も含め色々な面に関しても助けたい、お手伝いしたいという気持ちの表れとして屋号に付けさせていただきました。
昭和52年、高崎市飯塚町生まれです。
高崎市立北小学校、高崎市立第一中学校、そして群馬県立高崎工業高等学校建築科を卒業後、建設会社へと就職しました。
建設会社においては主に建築工事現場管理業務に従事し、東京においてオフィスビルやマンション、駅舎、工場等の建築工事に携わり、その後青森においてエネルギー関連施設の建築工事に携わりましたが、会社の業績悪化により工事が完了すると共に自主退社し、高崎に帰郷。
帰郷後は老舗石材店に勤務し、現場での施工はもちろん石材加工等を勉強させていただきました。
石屋さんになって11年、もっとお施主様の気持ちに寄り添った石屋さんになりたいと思い独立を決意。
平成27年4月、「助屋」という屋号のもと開業いたしました。
まずはお三味線。お三味線は6年ほど前からやっております。
始めたきっかけは実はなんとなくでして・・・。近所に藤本流師範のお師匠さんがいらっしゃって流れで始めてしまいました。流れと言っても始めてからは3年はほぼ毎日練習する程にのめり込んでおりました。しかしながら有難くお仕事が忙しくなりにお稽古は中断。それでも暇を見つけてはちんとんしゃん♪と気晴らしに弾いております。
お三味線ついでというわけではありませんが、時期を同じくして都々逸(どどいつ)なんてものも趣味とさせていただいております。都々逸とは、七・七・七・五調の言葉遊び。「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花」「散切り頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」なんていうのも実は都々逸で、全国各地の民謡の8割方は都々逸で出来ているといっても過言ではない庶民の文化なのです。
このホームページ冒頭の「亡き君の 前で語らう 楽しき日々と 想いをつなぐ 墓参り」も、もちろん都々逸、自作です。
私は青森生まれの奥様とふたり暮らしです。
とはいえ動物には縁があるようでして、現在犬1匹と文鳥1羽とでにぎやかに暮らしております。
まずはミニチュアダックスフンドの「うに」ちゃんです。
我が家に来てもう10年程経つでしょうか。
保健所に連れて行かれる寸前で引き取った子です。
推定年齢13歳くらい。
人見知りが激しいのですが、私には可愛い娘?
耳の遠くなったおばあちゃん犬です。
そして、文鳥の「竹千代」君です。
ある朝、仕事場に着いた私は肩に違和感を感じて目を向けると一羽の鳥が・・・。
一向に離れる気配もなく、このままでは仕事にならないので一旦家で保護。
それから飼い主を探してみたものの見つからず、放っておいてもカラスの餌となるだけですから、仕方なく飼う事にしました。
性格は相当なやんちゃ坊主。
私の肩に乗っては耳たぶを突きまくっています。
ゴールデンレトリバーの「キャシー」ちゃん。
動物愛護協会の紹介で4歳の成犬で引き取った子でした。
引き取ってからというもの、どこへ行くにも一緒。
とても飼い主思いの優しい子でした。
しかし引き取ってから3年後、突然の病気で亡くなりました。
今から10年ほど前になります。
亡くなって10年ほど経ちますが、短い間に忘れることのできない沢山の思い出を私の心の中で残してくれました。
次にラブラドールMIXの「えびす」君。
この子はまさに殺処分寸前で推定1歳半で引き取った子です。
とにかくフレンドリーな子で周りに、特に「うに」姉さんには気を使って見せる優しい子でした。でも慣れるまではよく吠えてたっけ。
うちに来て8年後に前足付け根に腫瘍が見つかり、それからは3本脚で頑張ってくれてましたが、肺に転移し、天国へ旅立ってしまいました。